ひとり、ぶっちゃけ寺!!

いつもついつい写真を撮り忘れてしまいます。

 

今日のスペシャルゲストは…托鉢僧!

 

本日、雲水行脚をされているお坊さんに当店の前で読経をしていただいたので、

お店に迎え入れてコーヒーをごちそうさせていただきました。

 

新宿駅とかでたま~に見かけた托鉢僧。今までは(情けないことに)素通りでしたが、

今日初めてお話させていただきました。

 

いや~~~、楽しかった。素晴らしいお話をいろいろと伺いました。

聴けば、盛岡からいらっしゃった方のよう。

托鉢僧は、托鉢で回る場所を自分で決めるようです。

「盛岡はまだ寒いので、南の方に来てみました」とのこと。

お寺の和尚さんがコーヒー好きのようで、私が淹れるコーヒーを興味深くご覧になっていました。

私も、ちょっとしたコツだけお伝えさせていただきました。

 

初めてお坊さんと1対1でお話させていただくので、ここぞとばかり質問攻め。(←客商売なのにいいのか?と思いながらも)

「キリスト教やイスラム教などの他の宗教について」

「宗教戦争について」

「宗教のあり方、『神様』の実在性について」

「善悪の観念について」

「葬式って誰のためのもの?」

「そもそも『宗教』って何?」などなど。

 

この場でお話したことは一言二言くらいでしたが、

それを具体的に説明するととんでもなく長くなってしまう(+誤解を招くおそれがある)ので割愛します。

特に心に残った箇所を要約してご紹介します。

 

例えば、どの宗教のどの経典にも、「いつも笑顔であれば幸せになる」と書いてあったとします。

信者Aは、「辛い時でもムリヤリにでも笑顔でいればきっといつか幸せになる」と考えます。

信者Bは、「いつも自然に笑顔でいられるような状態であるように心がけよう」と考えます。

信者Aは、「神様が、いつも笑顔な私にいつか幸せを授けてくださる」と考え、

信者Bは、「私自身の信念または哲学の上で生き、幸せになっている」と考えます。

 

信者Aは神様の存在を信じ、信者Bは自分の信念の上で生きています。

信者Aは神様に「お願い」をし、信者Bは自分の中の良心に添って行動します。

 

本来、宗教とは「信者B」を目指す、

つまり「自分自身の信念・観念を育てるための指針としての基本的な教え」であるのではないかと思いました。

 

…すみません、多分に私の考えが入ってしまいました。

お坊さんは、「無理に作り笑いをするより、花が咲くように自然に溢れる笑顔がいいですよね」と仰ったくらいです。

 

他にも、「自分の中の善いこと」と「他人が考える善いこと」の違いを超え、共通の「善」を行うにはどうすればいいのか、

とかもとても面白い話でした。

答えは簡単。「お互いに良いと思える事を探して選べばいい」のですが、

このあたり、「7つの習慣」にも書いてあったことなので、興味深かったです。

 

重ねてすみません。あくまで個人的な意見が多分に含まれておりますので、誤解のないようお願いします。

また、私は特定の宗教に傾倒しているわけでもないので、こちらも誤解のないよう。

宗教の話でしたが、ビジネスにも通じる話だったのでとても面白かった。ということです。

 

帰りがけ、振鈴の音が遠ざかっていくのがなんとなく心地よかったです。